お店の考え方

手工品と量産品の楽器について

手作りの弦楽器については、いろんな方が様々な意見を持っていると感じます。どこのお店においても、楽器の産地の説明として「これはあの国の工業生産品、これはあの国の作家さんが作った物。」といった説明が必ず取り交わされています。

■工業生産品(量産品)と手工品
21世紀の現在も、似たような仕組みで弦楽器は製作されています。現代の工業生産品は、ロボットの削り込み作業などがより精巧になり塗装の機械化も進んで、仕上がりはより綺麗になっています。価格は手工品より格段に安いのが一般的です。しかし、演奏者の方は「なんとなく工業生産品では物足りない。」という意見が多く見受けられます。もし工業生産品と手工品の価格が同じだとすると、どちらが弾き手に好まれるでしょうか?
傾向として、手工品を選ぶ方が多いと感じております。ではその理由は何でしょうか?一番大きな差を感じるのは、“思い(哲学)”が込められているか、いないかではないかと思います。
一人の人が材料を選び、技術や時間をつぎ込み自分の哲学を込めて作ったものは、そのひとつ一つにその人の個性が表現された、独特の作品として生まれてくると思います。(当然そこには、守るべき規格寸法(サイズ)や製造工程、見えないけれども省いてはいけない内部の部品などがあり、手工品とはいえ、ダメなものもあります。)一方、工業生産品には残念ながらそう言う部分が欠落している事が多いように思います。
だからといってそれが粗悪品であると言っているのではありません。道具としてすばらしい物もありますし、品質の良くない手工品などの作りとは違う品質の確かさがあります。しかし、弦楽器を選ぶ際に、どうしても各自独特の好みの音を求め、どこにでもある物より、思いの込められた自分の為だけの楽器の方を選ぶのは、自然の事でしょう。ストラッドは、そういった“思い(哲学)”を大切に扱いたいのです。

■年代の古い工業生産品
工業生産品(量産品)には、古い物(100~200年以前)も存在します。これはどういう楽器かと
いうと、私は案外良い物があると考えています。話が矛盾するとおもわれるでしょうが、古くて大雑把に製作されている物は、木が枯れていてしっかりと製作されていないためむしろ修理や調整で良くなる幅が残っていて手がかけやすいです。
丁寧に直しを入れるとよい物に生まれ変わります。古いせいもあり同じものが非常に少ないのです。心を込めて考えて修理調整を行なうと、魂が宿ります。そうなるとこれは、やはり唯一無二の楽器と呼べる物に変革します。現代物の工業生産品ではドイツなどで作られている物は、値段と比較して非常にいいものがあるとも考えています。ただし、弦楽器の種類としては手工品と量産品は分野を分けて考える(語らう)物としてとらえています。

■どこまでが手作りの楽器なのか
弦楽器の種類分けの難しさなのですが、楽器商として沢山の楽器を手にとり、製作の現場を訪ね、写真やデータを見比べてみたりして思うのですが、どこまでを手作りの弦楽器としてみて良いのか?ということです。一人の職人が全工程を仕上げ、直接買った場合はもちろんいうまでもありませんが、助手さんが2~3人以下で下働きをこなした物はどうでしょう?・・これは合格だと思います。親方が、全工程を一貫して見ているからです。製作工程を作業分けして20~30人以上で作っているのはどうでしょうか?・・これは、手作りではないとストラッドでは考えます。この場合、作業する人はその自分の役割(例えば裏板の削り等)の一工程のみしか担当しませんし、作業内容によっては弦楽器の知識がまったくない人が一般作業として木材を削る仕事にあたります。
何度も、同じことを繰り返すために次第に精度があがり均一な部品を作る事が可能になります。技術のつたない製作者よりも仕上がりは良いかもしれません。
しかし、心が込められていないと思うのです。(我々は、いびつでも個性のある独特の音の出る物を好んでいます。)でもこれを人が削ったものだから“手作り”と呼ぶ人もいます。このあたりが難しく、確認の取りにくいところなのです。楽器商の中でも、こういった半手工品を買わされた事を知らないで、手作り品として販売しているケースもあるようです。本当に手工品といえるものは、製作者が全工程に目を光らせて心を込めて作った作品をそう呼ぶべきだと考えています。我々はそういう楽器が好きです。だから、購入の際は手工品であるかないかも考慮にいれる事も重要であると思うのです。